音楽史 第1章


 ギターとの出会いから、高校を卒業する頃までを綴ってみました。


 【 目次 】

 ♪ 第1話 「 ギターとの出会い 」
 ♪ 第2話 「 僕のギター 」
 ♪ 第3話 「 負けず嫌い 」
 ♪ 第4話 「 いちご白書をもう一度 」
 ♪ 第5話 「 初ライブ! 」

 ♪ 第6話 「 そんぐろーど 」
 ♪ 第7話 「 練習会 」
 ♪ 第8話 「 ヤングフォークタウン 」
 ♪ 第9話 「 衝 撃 」
 ♪ 第10話 「 オリジナル 」

 ♪ 第11話 「 驚 き 」
 ♪ 第12話 「 浜松市民会館 」
 ♪ 第13話 「 感激、勉強、感謝 」
 ♪ 第14話 「 ターニングポイント 」
 ♪ 第15話 「 セミファイナル 」

 ♪ 第16話 「 ポプコン東海大会 」
 ♪ 第17話 「 刺 激 」
 ♪ 第18話 「 文化祭 」
 ♪ 第19話 「 新しい出会い 」
 ♪ 第20話 「 この出会いに感謝します 」






♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


 
第1話 「 ギターとの出会い 」



  今日から少しの間、僕のギターとの出会いや、
  ライブ活動・音楽活動の出来事や思い出を書こうかな?と思います。
  何卒お付き合いの程、よろしくお願いいたしますm(__)m

  僕が初めてギターと出会ったのは、14歳の頃、
  そう!中学2年の秋口だった?と思います。
  (なんせ○○年前の記憶なので・・・。たぶん?きっと?絶対?当たりです)

  その当時、僕はバスケットボールに明け暮れる毎日でしたね〜。
  勉強は?そっちのけでボール突いて、シュート練習ばかりしていました。
  授業が終わりバスケが出来る事が、楽しくて楽しくて(^^)
  バスケをやりに学校へ行っていたと言っても過言ではないと思います。
  (自分では・・(^^;))
  例えて言うなら、「スラムダンクの桜木花道」 くんみたいな感じかな?
  (しかし授業中は、起きていましたよ!)

  そんなバスケ中心の毎日を送る僕に音も無く、
  なぜか近づいて来たのがギター君でした。
  今思うと丁度その頃、僕の周り(ごく一部)で
  ギターが流行りだしていたんですね〜。

  友達の何人かはギターを弾き始め、話す話題が
  ギターの事ばかりになっていってしまいました。
  また、その当時ギターが弾けると女子生徒から注目されたんですよ!
  (心当たりのある方、何人かいませんか?(^^))

  「このままではイカン!」「友達の数が減っていってしまう!」
  「話題についていけないと浮いてしまう」「僕も注目されたい!」
  ギターが弾けるようになれば・・「友達の話題に入っていける」
  「女子生徒から注目される」 こんな美味しい物ないですよね!

  こんな不純な?動機からギターとゆうものに興味を持ち始めたんですよ。
  (でも、この当時ほとんどの人が、この動機からギターを弾き始めていますよ!
  たぶん、この動機の支持率は80%は楽に越えますね!)
  本当に申し訳ない事なんですが・・(^^;)
  「ギターの音色が良い」「ギターが好き」
  とかいう動機ならカッコ良かったのですがね(^^)本当に、メチャ不純ですよね・・(^^;)

  ただここで問題が1つ浮かび上がりました〜〜〜。
  それは、何を隠そう私、 「音楽」 にまったく無縁で
  小学校の音楽の 「通信簿」 は記憶にあるだけでも
  「がんばろう」 の連発!でした。
  (小学校の通信簿「よくできる」「できる」「がんばろう」の3段階でしたよね。)

  とにかく音楽がからっきしダメで、
  「唄う事」 と 「おたまじゃくし」が特にダメっていう感じでした。
  おたまじゃくし恐怖症でしたね!
  その反面、体動かす事は「よくできる」 連発でしたけどね!
  (ナイスフォロー!自画自賛ですね(^^;))

  そんな音楽が、からっきしダメな僕が先程の 「純粋な?」 動機で
  ギターに興味を持ちギターに触ってしまったんですね〜。
  この出会いが、今なお続くギター人生の原点かな?なんて思います。

  そして、ギターを購入すると言うベタな展開に進んでいくのですが
  それは、次回のお楽しみと言う事で・・。
  この後、僕のギターや音楽を通しての出来事なんかを、
  薄れている記憶を掘り起こして書いていきたいと思います。
  よろしくです!


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第2話 「 僕のギター 」



  純粋な?動機でギターを始めたのですが・・・。
  ここで、一つの問題が勃発しました。
  それは何かというと自分の手元にギターがあればBestだったのですが、
  我が家にはギターが無かったですよ〜。
  というか楽器などという物がまったく無い。
  あるのは、小学校のときに使った「スペリオ」(今は、リコーダーかな?)
  & 「メロディオン」(鈴木楽器製造)(ピアニカの方が馴染みあるかも)くらいでした。

  なぜなかったのか?それは、我が家は「音楽」とはメチャ無縁でして、
  どのくらい無縁かと言うと・・。
  「両親の唄を聴いたことが無い」「唄っている姿を見たことが無い」
  「姉に到っては唄うとハモッていっる〜。」
  そんな家族なんで、ギターなんぞと言うシャレた楽器など有るはずも無く
  ある方が可笑しかったんですよ!

  そんな中でも僕がギターを弾くにあたって恵まれていたのは、
  友達の何人かの家にはギターが有ったという事でした(^^)
  そのほとんどの友達が同時期にギターを弾き始めたという事です。
  そして僕は、ギターを弾きたくて友達の家を渡り歩く事になっていったのでした。

  友達の家に行ってはギターを弾き、又次の日別の友達の所でギターを弾き、
  という感じで・・。
  (でも、きっとあの時、迷惑していただろうな〜と
  書きながら今になって思います。←今思うなよ!)

  そんな感じだったのでフラストレーションは溜まっていきますよね〜!
  友達のギターを借りて弾いても所詮僕のギターではない。
  弾く時間が限られてしまう。友達のギターなので思いっきり弾けない。
  「もっと弾きた〜い!」
  そんな思いに駆られてついについにギターを買うことを決意したんです。
  (チョト大げさですよね(^^;) )

  ギターを買うに当たって、僕自身お金を持っているわけではないですから〜。
  と!いうことは、スポンサーを探さなくてはなりません。
  「こんな僕のスポンサーになりませんか?」などと求人広告出すわけにも行かず。
  回りを見渡しました。いましたいました〜(^^) こんな時、力になってくれる人が。

  「両親にスポンサーになってもらおう!!!」

  でも、さぁ〜困った。どのようにしてお金を出してもらおうか考えました。
  ストレートに行けば、きっと「直ぐ弾かなくなるからモッタイ無い」
  という返事が返ってくるのは目に見えています。
  「じゃあ〜!変化球で」と言っても不器用なので攻め方を知りません、
  どうしましょう〜(^^;)

  あの手この手と考えてみたのですが、なかなか良い案が浮かばない〜。
  「え〜い!こうなったらダメ元でストレート勝負行ってやれ〜」
  で、母親に「 あの〜その〜この〜。あのさ〜ギターが欲しいんだけど買ってくれない?」
  と切り出しました。
  頭の中では、シュミレーションしていた「ダメ!モッタイ無い」が
  ぐるぐる走馬灯のように回っていました。
  そして、母親から出た言葉にビックリ〜!

  「そんなに欲しいの?しょうがないね〜」「いくらぐらいするの?」
  と快くスポンサーを引き受けてくれました。
  (どうしちゃったんでしょう?何時もと違う展開に戸惑う僕の姿がそこにはありました。)

  ここで、愚だ愚だ言って折角のOKがNGになってはいけないので
  「ありがとう!」と手を差し出しました。
  そして、母親から貰ったお金を握り締めワクワク気分で楽器店へGo〜!
  ならば、ベタな展開でOKなのですが・・。
  僕が向かった先は、楽器店では無く質流れ専門店でした。

  どうして質流れ専門店だったかというと・・。
  スポンサーから頂いたお金が 5,000円、そのお金で買えるギターは?
  「楽器店では無理」「新品は買えない」
  となると残された選択肢は中古品を買う事でした。
  そんな訳で質流れ屋さんに向かったんですよ。

  友達は「YAMAHA」や「Morris」と名の通ったメーカーのギターでしたが、
  僕が買ったギターは・・・。
  名も無きメーカーのギターでJust 5,000円!とうとう手に入れてしまいました。
  「Myギター!」もう嬉しくて嬉しくて(^^)。少し小さなギター(00くらいの大きさ)で、
  僕の体格では一段と小さく見える感じでした。(見た方の感想)

  もう!嬉しくて嬉しくて値段なんて関係ない。とにかく嬉しくて。
  自分のギターが出来た事で、ここから血の滲むような?
  練習の日々が始まっていくのでした。

  この後の展開(ギター練習編)は次回お楽しみと言う事で!
  次回も、よろしくです〜v(^^)v


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第3話 「 負けず嫌い 」



  とうとう念願のギターを購入し「これで気兼ね無く弾けるぞ!」
  気合が入りましたね〜。

  ここから「浦山修司」ギター人生が本格的に Startしました。(ちょ〜大げさ!)
  それまで、バスケ中心の生活が(個人的に思っている)ギター中心に変わっていきました。
  授業→部活(バスケ)→帰宅→寝る
  このパターンが
  授業→部活(バスケ)→帰宅→ギター→寝る
  このように変化したのでした。どこを削るか考えました。

  授業・部活は削る訳にはいけないので削るんなら帰宅後ですよね!
  結局、寝る時間を削りました〜。
  (おいおいそれで良いのか〜。この後、高校受験が待っているぞ〜!)

  この頃のギター生活を少し紹介しますね!
  学校から帰るのが午後7時頃で、速攻で夕食を食べ、ギター練習に取り掛かっていました。
  だいたい毎日3〜4時間くらい弾いていましたね。
  休みの日など丸一日弾きまくり〜て感じでした。

  自分でも、どうしてこんなに夢中になって弾いていたのかな〜て考えてしまいました。
  やはり、友達皆がギターを弾いていて「奴らには負けたくない」という気持かな?
  なんて思います。(実は、チョ〜負けず嫌いかも・・・)
  誰それが「1曲弾けるようになった」と聞くと「なら自分も」と頑張っていましたね。
  (ホントこの頑張りが勉強の方にあったら今頃、博士か大臣になっていたかもです・・(^^) )

  本当に、よく弾いていました。自分でも感心するくらい。
  何時も頭の中はギターでいっぱいで、英単語や数式の入るスペースは無い、
  てな感じでした。
  家で弾くだけでは物足りず、「どうにかして昼間も弾くこと出来ないかな〜」
  と思い考えました。

  学校にギターを持って行く事は禁止されていたので、どうしよう?
  しかし、ホント好きなものに関してはアイディアが沸いてくるんですよね。
  「じゃあギターもどきを作ってしまえ!」(本当に、チョー単純ですよね!)
  作りましたよ、筆箱利用して。

  どんな物、作ったかというと、筆箱のふたを利用するんです。
  僕が使っていた筆箱は、ふたが取れるタイプの物でした。
  (細長いお弁当箱を想像して下さい)
  (もう一つ言うなら「象が踏んでも壊れない」がキャッチフレーズの筆箱です。)
  このふたに、輪ゴムを等間隔に6本引っ掛けるんです。
  そうすると輪ゴムで作った簡易弦が出来上がります。

  これを使ってアルペジオの練習を授業中やっていましたね〜。
  あまり強く弾くとゴムを弾く音が聞こえてしまうから、小さく小さくやっていました。
  そして、この簡易ギター(筆箱くん)をひっくり返し
  背側を上にして鉛筆で弦(輪ゴム)に対して垂直に線を入れると
  ギターのネック(ギターの弦を押さえるところ)の出来上がり〜。
  これを使ってギターコードを覚えました。これまた授業中!

  こんな感じで、ギター!ギター!ギター!で、とにかくギター中心に考える毎日を暮らしていました。(^^)
  でも、今思うとギターを弾いてはいたのですが・・・、
  「音にならないギター」でしたね。
  プチプチプチとほとんどがミュート音、絶対雑音でしかなかったと思います。
  夜遅くまでギター弾いていたので、たぶん相当な近所迷惑ではなかったかなぁ〜、
  なんて思いますね!
  家の中で聞かされている家族は、もっと雑音だったと思います。

  でも、何一つ文句を言わずに弾かせてくれた家族に感謝です。
  皆様のご協力があればこそ、今の僕の音楽があるんです。本当に感謝です。


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第4話 「 いちご白書をもう一度 」



  こんな感じで色々と工夫して、毎日毎日ギターを弾いていました。
  最初は、不純な動機で始めたギターでしたが、毎日弾いているとギターの音色が好きになり、
  純粋にギターが、ギターを弾くことが好きになってしまいました。

  最初の頃は、ギターコードを覚える事に必死でしたね!
  これが、C これが、Am てな感じで音が正確に鳴るまで繰り返し繰り返し練習しました。
  でも、何か面白くないんです。反復練習が大の苦手な僕としましては・・。
  面白くないのは何でだろう〜?ここでまた考えました。(良く考えますね〜)

  「そうだ!まともに弾ける曲がない。1曲まともに弾いてみたい!」これでしたね。
  「よし!まずは、曲決めからだ」(気合入れてどうするの〜)

  まずは、楽譜探しからです。「何処かにないか楽譜くん」家の中を探しました。
  ありましたよ!楽譜。当時、「明星」「平凡」という女性誌?の付録に
  歌本が付いていたんですよね!
  どうして、我が家に「明星」があったのか・・・?(僕が買ったんじゃないですよ!)

  当時、姉が 「花の中3トリオ」 (森昌子・桜田淳子・山口百恵)
  中でも「森昌子」のファンで(演歌です)良く明星を買っては読んでいましたね。
  姉にとっては、本の中身に興味があり「歌本」は、どうでも良い存在でした。
  僕がギターを弾き始めるまでは、「即、廃品回収行き」でしたね!
  そんな歌本に僕が光を当てたんですよ ←大げさだ〜!

  その明星の付録の唄本をぺらぺら捲りながら今の技量に合った曲を探しました。
  が!しかし歌本見てビックリ!バレーコードのオンパレード、(♯)やら(♭)やら××maj7
  「なんだこれ〜」難しすぎる〜〜〜!
  (これでは弾ける曲が無い〜)なんせオープンコードしか弾けない僕としましては未知の世界です。

  「いや絶対有るはずだ!僕にも弾くことの出来る曲が」
  そう信じて再度、歌本を捲りました。嬉しいことに、いましたよ僕にも弾けそうな曲が(^^)
  それは、僕もラジオで何回か聞いたことがあった当時ヒットしていた
  「いちご白書をもう一度」と言う曲でした。

  「バンバン」と言う2人組みのデュオ(ばんばひろふみさんと、もう一人は忘れてしまいました)
  が唄っていました。
  作詞作曲は「荒井由美さん」(ユーミンって言った方が分かるかな!)すごく良い唄です。
  どうしてこの曲を選曲したかと言うと、
  @ 曲を知っていた。A コードが簡単だった。B ダウンストローク(上から下へ弾き下ろす弾き方)
  のみで初心者にはありがたかった。この3点が選考理由ですね。
  裏のC としては、「なんとなく出来そうな気がした」これがホントかな(^^;)

  早速弾いてみましたが・・。ここで又問題発生!
  曲の中のコードに 「F」 がある〜!
  弾き始めて一月も経っていない僕としましては音が鳴らないコードの一つでした。
  ギターを弾いた経験がある方なら分かると思いますが、
  大半の人はこの「F」コードでギターを弾くのを断念してしまうくらい難しい、
  音が鳴りずらい厄介なコードです。

  でも、ここで諦めてはいかんと思い頑張りましたよ「F」克服大作戦。
  (鳴っても鳴らなくてもコードを押さえる)
  その甲斐あって、なんとか10回に1回くらいは鳴るようになりました。
  突っかかり突っかかりですが、毎日毎日針の飛んだレコードのように弾いていました。

  ただ弾くだけでは面白くなくて、今度は唄まで唄い始めてしまいました。
  家族にとっては、雑音の度合いが3レベルくらいアップしたんじゃないかな〜(^^;)
  そして頑張った甲斐があって1曲完全にマスターしました。メチャ嬉しかったです。(^^)

  今でも、この「いちご白書もう一度」を聞くと当時の事を思い出しますね!
  (「F」で苦しんだ事や、弾けて嬉しかった事 etc・・・。)
  たぶん今でも暗譜で唄えると思います。(耳タコ状態になるくらい唄いましたから)
  1曲弾けると、また次の曲、次の曲と欲が出てきますね!
  弾ける曲が増えていくと、益々楽しくなってギターを弾く時間も長くなっていきました。

  そして、この後(数ヵ月後)「無謀な初ライブ」を迎えることになっていくのでした〜。
  お楽しみに〜!


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第5話 「 初ライブ! 」



  1曲弾けるようになって、嬉しくて足取りも軽く友達の家へ!
  「弾けるようになったぞ〜」「聴いてくれ〜」と友達のギターで弾き始めました。
  唄までつけて(^^)気持ち良かった〜。

  この当時、僕達ギター好きの仲間が、ひたすらひたすら弾いていたのは
  「かぐや姫」「吉田拓郎」「イルカ」などかな〜。後に「アリス」とかを弾くようになるのですが・・。
  その中でも、「かぐや姫」流行っていました。リアルタイムでは無いのですが・・・。
  (僕達が「かぐや姫」を知った時には解散していました。)

  「かぐや姫」は、南こうせつ・伊勢正三・山田パンダの3人グループで、
  ギター弾きには入りやすい楽曲が多かったですね。(曲自体が循環コードで)
  それと、リードギター・サイドギターがはっきりと分かれていると言うのも魅力でしたね。

  この頃、友達とよく「俺、リードやるよ!」「じゃ〜俺、サイドやるよ!」
  と言う具合にセッション?していました。にわかグループの出来上がり〜。すごく楽しかったですね。
  こうなると、にわかグループだという自らの立場も考えず。
  「誰かに聴かせたーい」と言う気持ちが湧いてきましたね。
  友達の兄貴や友達に聴かせるだけでは物足りなくなって、やってしまいました「初ライブ!」

  僕が中学3年の春、場所は学校の体育館、文化祭でのライブでした。
  全校生徒 1,000名の前で・・。
  今考えると自分の実力も考えず「怖いもの知らずの大馬鹿者〜!」でした(^^;)
  ホント友達と「ノリ」1本だけでしたね。
  僕達は、友達とギター4本での演奏でした。
  (でも、ちゃんとリード・サイド・コーラス各パート分かれていましたよ)
  もちろん、ボーカルは僕でした。
  自ら立候補!てな感じです。自らの唄の能力考えず、ただ負けず嫌い?目立ちたかった?だけでした〜(^^;)

  その時、やった曲は・・・!!!
  かぐや姫の「妹」(妹よ〜襖一枚隔てて今〜小さな寝息を立ててる妹よ〜♪)
  ジローズの「戦争を知らない子供達」(戦争が終わって僕らは生まれた〜♪)ベタですよね(^^;)
  この2曲、文化祭の前、友達の家で死ぬほど練習しましたね←チョー大げさ!
  なんせ人生初めての大舞台(まだ14年しか生きてないぞ〜と突っ込み入りそ〜)
  華やかに飾りたいですからね〜。

  そして、文化祭の当日がやってきました。
  午前中の余興?催し物?文化発表?良く分かりませんが、その中の一つとしてコンサートがありました。
  先生方(校長先生)の有難いお話?何も聞いていなかったです。
  緊張で、それどころではありませんでした。
  ライブ(当時は、コンサート)が始まる前、ドキドキ・ソワソワでやたらテンション高い〜!
  やる気満々でしたが・・ほとんど空元気。そして出番です。

  ステージに上がって会場を見てビックリ!「人、人、人、たくさん〜!」
  ここで一気に真っ白になってしまいました。
  そして、演奏です。
  2曲、しっかり唄い切ったみたいです。ギターもしっかり弾いていたようです。
  他人事みたいですが、本当に、このライブの記憶は定かでないんです。

  後で友達の話やら、その時の写真を見せられて「ああ!やったんだ〜」て言う感じです。
  誰も皆、初ライブは鮮明に覚えていないもんですよね(^^)
  唯一、自分自身の記憶にある事は、ライブやり終えた後ステージ横の体操用マットの上で感じた
  「気持ち良い〜」の満足感です。
  今思うと、この時「人前で唄う気持ち良さ」覚えてしまったのですね〜。

  この文化祭が、僕のライブ人生の原点ですね!ライブ人生のStartですね!
  残念なのは、リアルタイムでの記憶が無いという事です。本当に、まったく覚えていないんです。・・・(^^;)

  この文化祭で、僕自身一人の男と出会う事になりました。
  僕達の後に、「22才の別れ」を演奏した2人グループの1人。
  リードギターを完璧にこなしていて、僕自身「なんだ〜こんなにギターが上手い奴、
  同級生に居たのか?」
  はっきり言って「ビビリました」「鳥肌立ちました」
  「こいつ天才?」そのくらいの衝撃を受けました。
  「こいつからギター教えてもらおう!」というより「技を盗もう」と心に決めて←またまた大げさ!
  そして、彼から色んなものを盗ませていただきました。無料で、勝手に(^^;)

  部活を引退した夏休みからは、彼の家に入り浸り状態になってしまいましたね!
  ほぼ毎日、彼から仕入れた物を家に帰ってひたすら練習
  (これが直ぐには出来ないんですよ!彼は、意図も簡単にやっていましたが・・。)

  出来るまで何度も何度も繰り返し繰り返し。
  反復練習が嫌いな僕も、この時ばかりは少しも苦にはなりませんでしたね。
  (とにかく、ギターが上手くなりたいという気持ちが強かったんですね!)
  それよりも、新しい事を覚えれる事が、嬉しくて楽しくて!
  それに伴って僕のギターの腕も上がっていきましたね(^^)
  「人間、努力は必要です。」
  この彼と、後に「そんぐろーど」を組むことになるとは、この時には二人とも思ってもいませんでした。

  この時期、もう一つ嵌っている物がありましたね!
  それは、深夜放送 「オールナイトニッポン」です。
  曜日ごとにパーソナリティーが変わって放送されるAM 1:00〜3:00(第一部)AM 3:00〜5:00(第二部)
  音楽主体のラジオ放送でした。
  この当時の、僕の貴重な音楽の情報源でしたね。
  布団にもぐり小さなポータブルラジオに耳を傾けてと言うか、耳をくっ付けて聞いていました。
  当時、パーソナリティーをやっていたのは、

  「吉田拓郎(月曜日?)」
  「中島みゆき」(この人の放送、二重人格か〜と思えるほど楽しくて笑わせてもらいました。唄とは正反対)
  「南こうせつ」(この放送を一番良く聞いていましたね。
  当時、好きなミュージシャンの一人だったからかもしれません)
  「鶴光」(とにかく笑えました。「わんばんこ〜」)
  この後、「長渕剛」さんもパーソナリティーをやるのですが、その話題はまた後で・・。

  目が冴えてしまうと第二部も聴き、「走れ歌謡曲」の八代亜紀さんの演歌を聴きながら
  寝ると言う事もありましたね。(メチャ健康的!)
  皆さんも、同じような生活をなされていたのでは・・?

  そして、ギターと共に中学を無事卒業し高校へと進んで行くのでした。
  この高校時代にいろんな事を経験し体験し、今の僕の音楽人生の基礎を作くる事が出来ましたね。
  その辺は後ほど・・(^^)v


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第6話 「 そんぐろーど 」



  ギターと共に高校へ進んだ僕。部活(クラブ)はどうしよう〜?と考えました。
  (何かのクラブに入る決まりになっていたので・・。)
  バスケ部からの誘いもありましたが・・。自分の中では中学卒業と同時に
  バスケからも卒業しようと決めていたので、丁重に?お断りいたしました。

  ダメですね!この時すでに僕の頭の中はギター&ライブでいっぱいでした。
  「何のクラブ入ろうかなぁ〜。」と見渡すと・・。有りました有りました!
  その年、出来たばっかりの「ギタークラブ」。僕の為に今年から出来てくれたのかな〜、
  なんて勝手に思い込んでしまいましたよ!ホント趣味と実益を兼ねることが出来るBest!!!

  このクラブ「ギタークラブ」の活動は週1回のクラブの時間のみ。
  その他の練習は一切無し!合宿なんぞ持っての外!ほぼ完全に「帰宅部」でしたね〜。
  この早く家に帰れる事が一番嬉しかったですね。(家に帰って思う存分ギターが弾ける)
  もう皆様の期待通りにギターどっぷりの毎日を送っていきました。

  そして、段々とギターの腕が上がってくると欲しくなってしまうんですね〜!
  次のギター新しいギター。「欲し〜〜〜い♪」
  で、高校1年の夏休みギター欲しさに1ヶ月間バイトしました。伯父さんの鍍金工場で。頑張りました〜。
  1ヶ月のバイト代いくらだったか覚えていませんがギターを買うには十分すぎるくらいのお金をいただきました。
  そのお金を持って念願の?楽器屋さんへGo!(今度は、質屋ではなく正真正銘の楽器屋さんです。)
  そして、即決買ってしまいましたギター!40,000円!

  購入したギターは、「Cat's Eye」(東海楽器)の CE-400(Top スプルース単板・サイドバック ローズウッド合板)
  もう嬉しくて嬉しくてニコちゃんマーク連発でした。
  ギターの弦を6弦から一本一本弾いてみた時のあの感覚、今でも忘れてはいませんね。

  第一印象は「大きな音がする」「ちゃんと鳴る!」
  なんせ、それまで弾いていたギターが質流れ 5,000円でしたから・・。
  新しいギターを手に入れた事により、僕の音楽人生も拍車がかかってしまいました。
  ローギアーからセカンドギアーへと・・・(^^)v

  そして、高校一年も半分を過ぎた頃、友達とユニット組もうと言う企画?が持ち上がって来ました。
  そう!中学の文化祭で衝撃的?な出会いをした。彼、O君(公の場ですので本名は控えさせてもらいます)
  僕が、どうしても彼とユニットを組みたくてO君にお願いして?その場のノリで?話を持ち出しました。
  最初は、渋っていましたが・・心から?かは定かではありませんがOKもらいました。
  ここに、後に一世を風靡???した「そんぐろーど」の誕生です。 ←「めちゃ大げさ」

  どんな感じのグループにするのか?どんな唄を唄うのか?パートはどうするのか?
  などなど考える事は、いっぱいです。
  二人で相談して「まずは、持ち歌を作ろう(コピー曲ですが)」と言うことになりました。

  どんな曲を持ち歌にしようかと考えましたが
  その当時、元かぐや姫の伊勢正三さんが作った「風」と言うユニット(グループ)がありました。
  僕達の間(ギターを弾いていた仲間)でも結構流行っていて
  「良い感じじゃん」「リード・サイド分かれているし」「やろうよ!これ」
  あっ!と言う間に決まりました。「風」のコピーをメインにやっていこう!

  さあ!練習です。その前に、グループ名を決めなければ・・なりませんよね。いくつかの候補がありましたが
  僕が、「Song Road」てどうかな〜?「歌の道」だけど・・。ちょっとベタ過ぎるかなぁ〜!
  しかし、彼Oくんは、二つ返事でOK〜!(深く考えたのかな〜?)
  彼曰く、英語だとどこにでもあると思うから目立たない「ひらがなにしない?」
  今度は、僕がOK〜!と言う事で、伝説?のグループ「そんぐろーど」のグループ名が決まったのでした。
  ジャンジャン。

  さて、グループ名も決まったので練習練習!とにかく持ち歌を増やそう!
  練習しましたよ。彼の家へほぼ毎日、5時過ぎから7時頃まで、その甲斐あって秋口には持ち歌も
  4〜5曲ぐらいになったのかな〜♪
  そうなると、次のステップ?欲望?今度は、「人前でやりたい唄いたい」という気持ちになってきました。
  中学の文化祭で、人前でやる楽しさを知ってしまったので・・。
  「何処かにないかな〜」ライブやれる所、唄える場所。

  学校の帰り街中の楽器店を回って、いろいろと探しました。
  ライブをしたい。唄いたい。という一心で・・。←この頃は、まだ純粋だったんですよね(^^;)
  ありましたありました!「YAMAHA 浜松店」に1枚の募集広告
  「ヤングフォークタウン(通称ヤンタン)僕らと一緒に音楽をやりませんか?」
  今考えると、チョト恥ずかしい文句ですね!青春してるぞ〜てな感じ。

  僕にとっては、「渡りに船」一目散に店員さんに
  「このサークルのこと知りたいのですが・・。」と尋ねました。
  店員さん「ヤンタンね!」「今度の土曜日の夜、4Fの部屋で練習会あるから行ってみたら?」
  やさしく?教えてくださいました・・。
  「行くきゃない!」と思い土曜日に行く事を決意したのでした。
  そして、この練習会に参加した事がこの後、僕のライブ活動に於いて物凄く意味を成す事になりました。

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第7話 「 練習会 」



  土曜日の夜、「ヤンタン」の練習会に参加すべく相方のO君と一緒に家を出たのですが・・。
  行くまでの間、O君と
  「どんな感じかな〜」「どんな人達がいるのかな〜」「レベル高かったらどうしよう」
  そんな話を二人でしつつYAMAHA浜松店の4Fへ向かいました。
  期待と不安が入り乱れてテンション高かった事は未だに覚えていますね!

  YAMAHA浜松店奥に有ったエレベーターに乗り4Fをプッシュ!ドキドキそわそわ。
  またこのエレベーターが僕達の気持ちを知ってか知らずか「メチャゆっくり」
  (コップに入った水を溢さない様に歩くみたいに)
  (乗られた事の有る方でしたら分かってくれるかな(^^;) 階段を駆け上がったほうが速いくらいです。)

  そして、4F到着。練習会会場へ。
  練習会が行われていたのは、ホール前の控え室みたいな前面ガラス張りの部屋でした。
  恐る恐る中へ入って行き「ヤンタンの練習会は、ここですか?」と尋ねました。
  「そうですよ!」と無愛想な返事。これで、また一気に緊張!
  「まだ、高校1年生の二人なんだから温かい言葉掛けてよ〜」
   て思ったか思わなかったかは定かではありません。(^^;)

  そんな、緊張している二人に声を掛けてくれる人がいました。
  その中のリーダー?さんかな〜「ああ!聞いてるよ。こっちこっち」と手招きしてくれました。
  YAMAHAの店員さんが事前に、今日僕達が行く事を連絡しておいてくれたみたいでした。
  その言葉を聞いてカチコチに成っていた僕達は、リラックス出来ました。
  初めての場所でギターを持っていった訳でもなく、楽譜を持っていった訳でもなく
  何も出来る事無く、只々サークルの皆さんを見ている「見学者」に徹していたような気がします。
  (不器用なんで〜(^^;) )
  そして、帰りに「ヤングフォークタウン」に入会の手続きをして練習会会場を後にしました。

  ここで、僕達が入会した「ヤングフォークタウン」を少し紹介します。
  「ヤングフォークタウン」は、
  YAMAHA浜松店の全面協力の下、老舗の(伝統がある?)音楽サークルです。
  どのくらいの人達が加入していたかは全然覚えておりませんm(__)m

  月1回、YAMAHA浜松店4Fホール(キャパ150位だったと思います)で、
  今風に言うと「ライブ」当時風に言うと「コンサート」を自主的に行っていたサークルでした。
  チケットノルマも無く、自由に音楽と言うものを楽しんでいた様に記憶しています。
  (今では、考えられないかな?)
  このサークルに入会した事は、僕の音楽活動・音楽人生・ライブに多大なる影響を与えてくれました。
  と言うか、僕の基礎を作ってくれたそんなサークルでした。

  そして、何を間違えたのか?僕達「そんぐろーど」が翌月、初ライブをする事になってしまいました。
  「20分〜30分でやってくださいね〜!」
  と簡単に言われてしまい僕達は、唖然?嬉しさ?不安?でいっぱいになりました。
  「おい!ライブ出来るよ」「来月て、後何日あるんだ」「どうしましょう」 なぁ〜んてO君と話をし

  「やるきゃないじゃん」「やってやりましょう〜」「俺達なら大丈夫だよ!」と変な自信を持って
  (まっ!今思えば若気の至り、チョー自信過剰てとこですかね!)
  練習にも力が入っていた事は記憶していますね。

  そして、ライブ用に選んだ曲。やはり風の「22才の別れ」・・・後は、全然記憶にありませ〜ん。
  何曲用意したのかも覚えていません。
  ひたすら練習し人前でも恥ずかしくない位までまとめ上げて「よし!これで恥ずかしくないぞ!」
  (注1 あくまで僕達が勝手に思い込んでいるだけなので・・・。
  人から見れば 「なにこれ?」 だったかもしれません)
  くれぐれもお間違えありません様に・・・。(^^)
  そして、僕達「そんぐろーど」は、変な?自信を引っさげて初ライブを迎えることになりました。


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第8話 「 ヤングフォークタウン 」


  「ヤンタン」コンサートの当日
  さぁー!変な自信をぶら下げてやってまいりましたYAMAHA浜松店の4F。行くまでの道中、
  「お客さんいっぱいだったらどうしよう」「緊張してる?」「ぜんぜん」「嘘つけ!」
  などと緊張を紛らわすかの様に、やたらテンション高かったですね。(会場に到着するまでは・・(^^;))
  いざ、会場到着!
  「こんにちは!そんぐろーどです。よろしくお願いいたします」
  とお決まりの挨拶をしてホールの中へ。

  ホールの扉を開いてビックリ!「何も無い」「機材・椅子など何も無い」
  (家具とかを、まったく置いていない引っ越してきたばっかの部屋)てな感じでした。
  僕達の頭の中では、
  「扉を開けるとそこには客席が設けられていて、ステージには
  マイク・スピーカー・PA機材などがセットされ、そこに僕達が行きコンサートをする」
  と言うイメージを膨らませていたのですが・・。甘かった〜〜〜!
  僕達のイメージは一気に砕け散ってしまいました(^^;)
  これが本当の「開けてビックリ玉手箱」でしたね!当時の僕達にとっては、ある意味、衝撃的でした。

  なななんと、会場作りからのStart!です。
  何をしていいやら、恥ずかしさで聞くことも出来ずいました。
  (この当時、まだシャイだったものですから〜)
  するとリーダー格の人が「客席作るから椅子出して」「はははい」言われるままに椅子並べスタート!
  これもやってみると結構楽しいもんで
  「前との間隔はこのくらいで良いかな〜?」「これ少し斜めにしたら観やすいよな〜」
  とか色々と工夫して並べていきました。
  その間に、ステージにもスピーカー・モニター・マイクスタンド等が置かれ、
  着々とライブをやる形になっていきました。

  そして会場も出来上がりリハーサルのスタート。
  「逆リハでいきますのでよろしく!」ちょっと待て〜。 「逆リハ」てなんだ〜?
  何だろうと思い尋ねました。「スイマセン逆リハて何ですか?」優しい先輩からお答えが帰ってきました。
  「逆からリハーサルする事だよ」「はぁ〜。ありがとうございます」
  実は、その「逆」の意味を知りたかったのですが・・。(本当に、優しい先輩です(^^;))
  今は、逆リハで分かりますが、当時は全然分からなかったです。

  「逆リハとは・・?」
  出演の順番の逆から(最後の人or最後のグループ)リハーサルを始めて行き、
  トップの人 or グループが、最後にリハーサルを行うと言う事です。
  こうするとトップの人・グループのセットやPAレベルを変えなくても良いんですね!又一つ覚えました。

  で!僕らは何番目だろう?と考える事も無く一番最後にリハーサルをさせてもらいました。
  という事はトップです。まぁ〜新参者の初ライブ、トップが定位置ですね!
  リハーサルをしていて(リハーサルなんぞ此の方やった事などありません)
  「モニターの返りどう?」と聞かれてもさっぱり分からず「良いですよ〜」が精一杯でした。

  そして、無事に?リハーサルを終え(ちょと大げさすぎるかな〜)残すは本番のみ。
  「がんばるぞ〜」と気合入れましたが・・。絶対そこまで余裕無かったと思います。
  開演時間が迫って来ると、も〜緊張。二人とも口数少なく(と言うより全然しゃべらず)
  作った笑顔が、ちょっと変!でしたね。

  そして、ライブのスタート!司会者の方からの紹介でステージへ。
  「こんにちは、そんぐろーどです。」「今日、ヤンタン初めてのコンサートです。よろしく〜!」
  と言ったかどうかは定かではないのですが・・。たぶん言ったと思います。85%くらいは(^^)
  その後の演奏・唄・どんな風にやったのか、まったく記憶に無いんです。覚えていないんです。
  無事に終わった事だけは覚えています。満足感だけは残りました。
  まだこの頃は、勢いだけでライブをやっていましたね。

  そして、全ての出演者のライブが終わり待っているのは、お片付け。
  「会場椅子担当?」の僕達は、もちろん椅子の片付け。
  出す時は時間掛かりましたが片付ける時は、速いです。
  あっ!という間に元の何も置いていない部屋に戻りました。

  この後、ミーティングと言うものがありました。(座談会です)
  今日のライブの反省やら、音楽の話やら、楽器の話やら色々です。
  その時、先輩方から「マイクの使い方」を教わりました。
  「マイクと口の位置の関係」勉強になりました。
  これは、今でも僕のライブに生きています。(基本的な事ですけどね)
  どんな事かと言うと。

  <マイクと口の距離>
  マイクから握りこぶし一つ分位離して唄う。
  (近過ぎると・・・声が籠ってしまったり声が割れてしまったりします。)
  (遠過ぎると・・・到って簡単、声を拾い辛くなって
   マイクレベルを上げるするとハウリングの原因になってしまう。)

  <マイクと口の関係>
  マイクを中心に口を持っていく。マイクから顔がずれても口だけはマイクの方を向く。
  (橋幸夫さんを思い出してください。
  顔を左右に動かしますが口は必ずマイクの方を向いています。
  でないと、声を拾い辛くなってマイクレベルを上げるするとハウリングの原因になってしまう。)

  この2点を教わりました。本当に初ライブ、自信過剰気味に行ったのですが・・。
  音楽・ライブの奥深さを思い知らされる結果になりました。
  これもまた勉強です。


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第9話 「 衝 撃 」



  僕が、高校1年の秋また僕のギター人生の中で衝撃的な出会いがありました。
  それは丁度、O君と「そんぐろーど」の練習をしていた時だと思います。
  O君が突然ギターを弾き始めました。
  弾いた曲が「 S&G 」(サイモン&ガーファンクル)の「 スカボロフェアー 」。
  その曲を聴いて頭を「ガツ〜ン」と殴られたのと同じくらいの衝撃を感じました。
  流れるようなアルペジオ。
  幻想的な音の流れ。「何だこれー!」「すごいじゃん」
  誰の曲? 「S&G」 だよ!「良い感じでしょ!」
  本当に、良い感じです。参りました。そんな曲を聴かされて・・。
  「俺も弾きたい」と言う欲望?願望?に駆られました。

  O君にお願いして「S&G」のレコードをカセットに録音してもらい家で聴いてみました。
  またまた「ガツ〜ン!」と二度三度殴られてしまいました。
  「やっぱ凄いよ!この人」僕は、S&Gの曲と言うよりも
  「ポールサイモン」のギターの虜になってしまいました。

  その日から頭の中はポールサイモン一色。
  弾きたくて弾きたくて何回も何回も繰り返し繰り返し聴きました。
  そしてコピーしました。(O君からも盗んできましたけどね(^^))
  「スカボロフェアー」「早く家に帰りたい」「キャシーソング」etc・・。

  そして忘れてはならないのが、ポールサイモンのギターのオカズです。
  特徴があるのはGコードの時の2弦4弦のハンマーリングやプリングオフ。
  今の僕の楽曲のオカズに沢山使わせてもらっています。
  このポールサイモンとの出会いがあったからこそ、
  今の僕のアルペジオがあると言っても過言ではありません。

  「ポールサイモンは、僕のアルペジオの先生です。」

  そして、高校時代もう一人のミュージシャンとの出会いが在りました。
  それは「ジムクロウチ」です。
  僕が出会った時には、ジムクロウチさんは飛行機事故で亡くなっていました。
  出会ったキッカケをくれたのは、友達からの一言 「こいつ良いよ!一回聴いてみてよ」
  と1枚のレコードを手渡されました。
  「ジムクロウチ Best」
  針を落として聴いてみました。

  流れてきたのは、ほとんどアコースティクギター二本での演奏と独特な声(優しい声です)。
  また、頭を殴られてしまいました。「すごい!」「メチャ良い」
  楽曲の素晴らしさは基より、特に気に入ったのはリードギターを弾いていた
  「モーリーミューライゼン」と言うギターリストです。
  メインの唄・ギターの邪魔にならず尚且つ自己主張をしているギター。
  時には優しく時には激しく。凄いです。

  ただ残念なのは、彼もジムクロウチと一緒に飛行機事故で亡くなってしまったと言う事です。
  この二人のライブ見てみたかったです。
  当時、ジムクロウチも沢山コピーしましたね。たくさん盗みましたね〜。
  僕の楽曲の中にも彼のコード進行を参考にさせてもらった曲が何曲かありますね!
  「S&G」「ジムクロウチ」
  この二人(二グループ)が僕に多大なる影響を与えてくれた事は、間違いありません。
  僕にとって、本当に素敵な出会いでした。

  それまで僕は、日本のフォークソングやニューミュージックを聴いていましたが、
  高校時代から洋楽も沢山聴くようになりましたね。
  アコースティック〜ヘビメタ〜演歌まで、ジャンルにとらわれず良いと思うものを聴いていました。
  「イーグルス」「ビリージョエル」「ディープパープル」「エアロスミス」「美空ひばり」etc・・・。
  とにかく広く浅くの雑楽でしたね。
  しかし!この雑楽があったからこそ、今オリジナルを創れているのかな〜なんて思ったりします。


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第10話 「 オリジナル 」



  「ヤンタン」初ライブを緊張感と充実感で終え、新たな挑戦が始まりました。
  毎月、ライブをやれる事に成ったんですよ。ヤンタンの月例のライブ。頑張らなくては!。
  気合十分で月例ライブをやっていましたね。
  毎月ライブをやっていると大分ライブにも慣れてきて、落ち着いて自分達の表現を
  少しずつ出来るようになっていきました。
  (ライブに限らず何にしても数をこなして行く事が、上手くなるコツですね!)

  毎月毎月ライブに出させていただく事で、ライブは作り上げていくと言うことが事が分かり始めてきました。
  自分達で椅子を並べ、自分達で機材をセットし、自分達でチケットを作り、自分達で人を集める。
  本当に、いい勉強をさせて貰いましたね!今思うと本当に感謝です。
  この下積み時代?があったから今の自分があるのかな?てマジで思いますよ!
  このサークルでの経験が後に作る音楽サークルで役に立ちました。

  この頃、オリジナル曲にも目覚めてきましたね。
  自分で詩を書いて自分で曲をつける。自分にしか出せないオリジナリティーが出せる。自分の世界が出来る。
  こんな思いでオリジナルを創り始めましたと言えばカッコいいのですが・・・。
  実際のところは、このサークルの半分以上の人・グループがオリジナルだったんですよ!

  で、僕達も「負けちゃ〜いられない」「創ってやろうじゃないか!」
  そんな反抗心と言うか、負けず嫌いと言うか、
  そんな動機からオリジナル曲を創ることを決めました。

  さあ!どうしましょう?O君と相談しました。「そんぐろーど」初のオリジナルだから二人で創ろう!OK!!!
  僕が詩を書き、O君が曲を創ると言うグループではお馴染みの?ベタなパターンでオリジナルを創る事にしました。
  「どんな詩にしようかな?」頭をフル回転させて。
  当時やっていた「風」「かぐや姫」の詩の書き方やパターンを参考にさせて貰いました。
  (物語的なものが多かった様に感じます)そして、詩を書きました。
  たぶん自分で書いた初めての詩ではなかったかな?と薄れている記憶の中で思います。

  書きあがった詩が「君の愛にサヨナラ」です。
  詩の内容は・・・「彼女と別れて街を出て行く男の物語で彼女の事がいつまでも忘れられない。
  色々な風景や出来事で、又彼女を思い出してしまう」というストーリーの詩です。
  全てフィクションの詩です。そうですよね〜!高校1年生で、こんな経験しませんよね〜(^^;)
  そんな詩にO君が素晴らしい曲を創ってくれました。そして僕がボーカルを取らせてもらう事になりました。
  (強引に決めた様な気もしますが・・・)
  そして、次のライブで「そんぐろーど」初のオリジナル曲として発表しました。
  受けが良かったか悪かったかは定かではありませんが・・二人の中では◎でした。(自画自賛)

  丁度その頃、アマチュア音楽の祭典「ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)」
  全盛の時代で、オリジナルを創ったらポプコンへ応募すると言うのが流行っていました。
  ましてや僕達が所属しているサークルの応援をしてくれているのが
  「YAMAHA浜松店」、応募しないわけには行きませんよね(^^;)
  (サラリーマンは辛い!なぁ〜んてね(笑))

  で、諸般の事情により?半強制的に?ポプコンに応募させていただきました。(させられました。)
  本人達は、ポプコンに応募したのも「お付き合い」程度にしか考えていなく、
  皆が思っていた様に「行くぞ!つま恋!」なんて微塵も考えていませんでした。

  そんな、お気楽モードでいると面白いもので、この楽曲が1次予選(テープ応募のテープ審査)を
  通ってしまったんです。結構こういう事て起きますよね。何気なく買った宝くじが当たったとか。
  (1等じゃないですよ!3,000円くらいの賞金)
  力が入っていなかったりする方が良い結果に繋がるように感じます。
  本当にビックリしました!


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第11話 「 驚 き 」



  何の間違いか、神の悪戯か1次テープ審査を通過してしまった「そんぐろーど」
  通過したことで、ポプコンにも興味を持ち始めました。
  その当時ポプコンは、
  1次予選(テープ審査)⇒2次予選(東三河・県西部地区のセミファイナル18グループくらい)
  ⇒東海大会(各地区のセミファイナル通過の5〜6グループの計18グループ)
   ⇒つま恋本選会と言う流れになっていました。
  僕達「そんぐろーど」は、この一番最初を通過したんです。
  次は、セミファイナルです。
  セミファイナルに向けO君と針の飛んだレコードの如く何回も何回も練習しましたね。
  (セミファイナルに行く前に飽きてしまうくらい)ただ、出場出来る事が嬉しかったんです。

  セミファイナル当日。
  会場は「ヤマハ四つ池センター内ホール」音響設備の整った素晴らしいホールです。
  高校生の僕達は浜松駅から「バス」に乗って会場到着!
  受付を済ませ控え室へGo!控え室へ行ったはいいのですが・・。
  こう言う場に慣れてないというか・・。全てが初体験で何をして良いやら全然分かりませんでした〜。
  僕達が出来た事といえば、椅子に腰掛けて「じーっ、と」している事だけでしたね。
  目茶苦茶、緊張していたということは覚えています。

  そして、リハーサル。
  言われるままに何事も全てにOKOKOKを出し
  「専門的な事言われても、さっぱりわかりませ〜ん!」「おまかせ〜」でリハーサルを終了しました。
  そして、いよいよ「セミファイナル」は始まりました。
  会場は、客席いっぱいの人(キャパ100人くらいだったと思います)立ち観の人が出るくらいです。
  後輩達も何人か応援に来てくれていたみたいです。
  (後で、本人達から「俺達、行ったんだよ〜」と聞かされました。嬉しかったです。)

  僕達のエントリーNOは、何番だったか?記憶に残っていません・・。スイマセンです。
  覚えている事は、緊張の中で「君の愛にサヨナラ」を唄った事ぐらいですね(^^;)
  本当に、セミファイナルの模様は僕の記憶の中に無いんです。(覚えていない)
  それだけ真っ白だったのかもしれません。
  したがって、誠に申し訳ございませんが・・・此処ではお伝えすることが出来ません(^^;)

  そして、全てのエントリー曲が終わり審査発表〜〜〜!
  (次のステップの「東海大会」へ出場できるグループ6グループの発表です。)
  僕達は、それまでの緊張から解き放されてニコニコして、会話も弾んでいましたね!
  そして、司会の方が会場の雰囲気を盛り上げるが如く大きな声で
  「東海大会出場グループの発表です!」と言いました。(叫びました?)
  僕達はと申しますと・・。皆さんドキドキしている中、平常心でステージに立っていました。
  というか「選ばれるはずがない。他の出演者メチャクチャ上手いし」と端から思っていたので、
  まったくの他人事でした。

  一瞬会場が静寂に包まれる中、出場グループが1組づつ発表されていきました。
  そして、司会者の方が読み間違えたのか?
  「グループ名 そんぐろーど」「君の愛にサヨナラ」と発表されました。
  意表を突かれると人間一瞬言葉が無くなりますね。
  何が起こっているのか理解するまでに少しのタイムラグありました。
  O君と「俺たち?」「嘘でしょ〜」でも現実だったんです。
  そして、記念のメダルを首に掛けてもらい現実なんだと実感しました。
  その記念のメダル、家の何処かに有るはずだとは思いますが・・。(^^)

  嘘のようなセミファイナルを終え、東海大会の出場要綱を貰い家に帰りました。
  その帰りの道中、テンションが高かった事はご想像の通りです。
  そして、また練習の日々が続いていくのでした〜。
  東海大会までの間に(一月くらいあったのかな〜)
  YAMAHAで「君の愛にサヨナラ」を録音してくれる事になりまた。
  (どのような意図があるかは高校生の僕達には分かりませんでしたね!何も無かったのですが・・。)
  録音(レコーディング ←大げさ)なんて、初めての体験です。
  嬉しくて嬉しくて何かワクワクしていましたね(^^)
  指定された日時にセミファイナルが行われたYAMAHA四つ池センター内ホールへ。

  この時、体験した事(インパクトあったんですね〜)今でも鮮明に覚えています。
  レコーディングディレクターさんと軽く録音の流れを打ち合わせして録音の始まりです。
  まずは、ギターの録音。
  O君と一緒に録音したのですが、O君との間にはパーテーションでしっかりと区切られ、
  隣の音を拾わないようにしていました。(プロのレコーディングみたい(^^))
  一緒にギターを弾いていたのですが、O君の姿は見えず見えるのは、パーテーションのみでした。
  ギターの音は、耳にしたヘッドホーンから流れてきます。本格的なレコーディングです。
  そして、ギターを Take 2 か Take 3で取り終え、次は唄入れです。

  まず、メインボーカルの僕からの録音。ヘッドホーンを耳に付けて、目の前のマイクには丸い息吹き防止が
  (イメージとしましては、金魚すくいの金魚をすくう道具。円状で紙の貼ってあるやつです。)
  取り付けてありました。
  テレビや雑誌でしか見た事が無かったので「大感激!」自然と笑顔です。
  ヘッドホーンからは、さっき録音したギターの音が流れてきました。その音に合わせて唄を入れました。
  そして隣にあるPAルームへ、そこでまたまたビックリ!しました。何にビックリしたかといいますと
  今、入れた唄(出来立てほやほやの)を流してくれました。
  その時に僕の声がオシロスコープに表されていました。
  「またまた感激です。」そんな機械を見るの初めてでした。
  その後、O君がハモリを入れて録音は終了しました。

  今では、家庭でも簡単に(機材さえあれば)録音がCDが出来てしまう時代ですが
  当時は、ラジカセに直撮りが普通でしたね。
  そんな時代に、本格的なレコーディングを体験できたこと嬉しかったし楽しかったです。
  本当に、いい体験をさせてもらいました。感謝です。
  その時、録音した唄、一度だけ日の目見たのかな〜。SBSのラジオで流れました(^^)
  そして、ポプコン東海大会へと話は続いていきます。


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第12話 「 浜松市民会館 」



  やってきました「ポプコン東海大会」当日。僕が高校2年生の春でした。
  何月だったかはハッキリ覚えてはいませんが、3月だったような気もします。
  「ポプコン東海大会」は、
  各地区のセミファイナルを勝ち抜いた18組〜19組(年によって違います)によって争われます。
  この東海大会を勝ち抜くと、そこには「つま恋」本選会に出場できます。
  つま恋が決勝戦なら、東海大会は準決勝みたいなもんですね!
  東海大会会場は、「浜松市民会館」(キャパ 1,500人)で行われました。
  「浜松市民会館」と言えば当時の僕達にとっては夢のまた夢、ここで唄えるなんて思うと
  ワクワクしてきた事を覚えています。

  僕と浜松市民会館のステージとは、幼稚園のお遊戯会以来です。
  (カルメンを踊ったような気がします。家にその時の写真があります。)
  後は、プロのコンサートを観に行く位ですか。高校時代観に行ったのは
  「風」「イルカ」「南こうせつ」「ふきのとう」etc・・。
  コンサートを観にいては「どうやってギターを弾いているのかなぁ〜」などと目を皿のようにして?
  ギターの左手(左指)ばかりジーと観てましたね。
  (行くからには、何かを盗んでこなければ!と言う気持ちいっぱいでした。)
  ちょっと横道それましたが・・色々な思い出がある「浜松市民会館」で沢山の人の前で唄える。
  緊張すると言うよりワクワクドキドキでした。

  会場までは、O君と個々にギターを持って、高ぶる気持ちを抑えるようにぶらぶらと歩いて行きました。
  でも笑顔でしたよ。(少し顔は固かったかな。(^^))
  そして、会場到着!ここで又、初めての体験をしました。
  いつもは、コンサートを観に行く(観客)方なので正面入り口からの入場ですが、
  今日は・・・(^^)「楽屋入口」「関係者以外立ち入り禁止・通行不可」からの入場でした。
  このいつもと違う待遇?益々テンション上がってきました。

  そして、正真正銘の「楽屋」へ(ステージの裏手にある大広間が出演者全員の楽屋でした。)
  楽屋へ行く途中、個室の楽屋が有りました。
  そのドアに張られていた名前、今日のゲストの「円広志」さんでした。
  当時、円さんは「夢想花」と言う楽曲で飛ぶ鳥を落とす勢いでした。ご存知かとは思いますが・・
  「飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで、回って回って回って回る〜」と言う楽曲です。
  そんな方と同じステージに立てる。またまた嬉しくなっちゃいましたね!

  そして、楽屋の中へ「こんにちは〜、よろしくお願いいたしまーす」
  と言っても返事が返って来る事はありませんでした。
  いつもと何かが違う、空気が違う、何か空気が張り詰めているんですよ。
  刺々しいと言うか緊張感が伝わってきました。
  そんな楽屋の一角に陣取りギターのチューニングから始めました。

  ここで問題が・・!
  楽屋に出演者ほぼ全員が入っているので話し声やら楽器の音やらでチューニングが出来ない〜〜〜!
  (今ならチューニングメーターにコード繋いで、どの様な状況でもチューニング可能ですが、
  当時は、そのような物はありません。音叉を鳴らして耳で聞いて5弦Aの音を合わせるんです。
  ですのでウルサイと音が聞き取れずチューニングが出来ないんです。)
  どうしよ〜?ムッ!としながら考えました。そして答えが導かれました。
  答えは簡単「静かな場所を探せば良いんですよね」あたりを見渡し探すこと数分、ありました。
  先程通ってきた楽屋入り口付近(良かった〜メチャ静かです)
  チューニングも済ませ、後はリハーサルの順番が来るのを待つだけです。
  だいぶコンテストの雰囲気にも慣れてきましたね。(人間何事も経験です。)

  そして、リハーサル。
  ステージに上がり椅子に腰掛けセットして顔を上げたとたん目に飛び込んできました。
  誰も座っていない競り上がった客席、「広い!でかい!」ステージ側から客席を見る事が始めての出来事で、
  一瞬ゴクンと唾を飲み込みました。
  そしてリハーサルの始まり始まり。モニターからO君のギターと声が聞こえてきます。
  「モニターの返りOKですか?」「OK」です。(どれがOKで、どれがNGか本人は分かっていません)
  唄とギターとのバランスを取ってもらってリハーサル終了です。
  「では、本番よろしくお願いします」「よろしくお願いしまーす。」
  さあ!後は本番を迎えるのみです。

  セミファイナルの時もそうでしたが、ここから出番までが長いんです。暇なんですよ〜。
  O君と話していても、そんなに長く会話が続くわけも無く、「暇だ〜!何とかしてくれ〜」てな感じでした。
  今なら他の出演者に声を掛けて交友の幅を広げていくのですが、
  高校2年生の僕達にとってはチョット無理ですね!

  そんな暇を持て余した頃、「リハーサルでも見に行こうか?」の声、
  「行きましょう」と言う事で恐る恐るホールへGo!リハーサル大見学会をスタートさせました。
  結論から言いますと・・・。この見学会の企画やらない方が良かった・・。
  他の出演者メチャ上手いです。
  バンドあり、ピアノの弾き語りあり、リハーサルの時間が経つにしたがって、
  それと平行して僕達のテンション下がる下がる。
  「ホントに俺達選らばれて良かったの?」
  段々と今まで有った少しの自信が見るも無残に打ち砕かれていきました〜。
  でも、時間は過ぎて行く。開演時間は迫り来る。どうしよう〜〜〜〜!
  よりいっそう無口になっていきました。

  O君に「俺、トイレ行ってくるよ!」とトイレに行きました。やはり緊張していたのかな?
  トイレに行ってビックリ!男性ですので立ってするのですが・・。
  隣に人が来て用をたし始めました。
  横目で見てビックリ今日のゲストの「円広志」さんだったんですよ!
  二人並んで用をたしていました。芸能人が隣に居る。トイレという狭い空間の中に一緒に居る。
  想像してみて下さい笑えますよ!

  違った意味での緊張したトイレでの思い出?も出来、緊張も少し解れて来ました。
  そして、「ポプコン東海大会」の始まりを告げる音楽が鳴り始めました。


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第13話 「 感 激 、勉 強 、感 謝 」



  さあ!いよいよ始まりました。今回は、「第16回大会」です。
  司会進行は、当時アナウンサーとして数多くの番組を持っていた
  「SBS静岡放送の國本よしひろ」さんです。
  流れるようなオープニングの挨拶からの進行、「さすがプロだ!」と感じましたね。
  (感心している場合では無かったです)
  僕達の出演はエントリーNO. 4なんで前半の早いうちです。
  準備しなければー(ギターも気持ちも)「平常心平常心」と言い聞かせてもチョット無理ぽいです。
  ドキドキモードに入ってしまいました。
  も〜まな板の上の鯉状態です。「どうにでもしてくれ〜」てな感じです。
  「ジタバタしてもしょうがない思いっきりやるだけだ!」と気合を入れてステージ袖へ。

  そして、僕達の出番!國本さんのMCが入ります。その間に後ろでセットする段取りになっていました。
  司会の國本さんの紹介の後スタートです。
  「エントリーNO.4 そんぐろーど、曲は「君の愛にサヨナラ」です」
  会場の割れんばかりの拍手、そしてイントロの始まり!
  O君のリードギターがモニターを通して聞こえてきます。(良い感じだぁ〜)
  そして、唄い始めました。「今日の汽車で僕は〜・・・」会場に声が響き渡っていきます。
  (気持ち良い〜)
  一番を唄い終わった頃、やっと?少し?落ち着きを取り戻してきましたね。
  それまでは、ギターコード・歌詞を間違えてはいけない(暗譜で唄わなければいけなかったので)
  そんな事が頭の中をグルグル回っていました。

  2番を無事に?唄い終え間奏です。またO君のリードギターがモニターを通して聞こえてきます。
  この間奏が終われば残すところ、後 Oneコーラス終盤戦です。
  「気持ちを込めて有終の美を飾ろう」と思う余裕もなく、3番を唄い切りました。
  会場からは、先程と同様の割れんばかりの拍手。
  唄いきった達成感と緊張から解き放された安堵感、会場からの拍手で鳥肌立ちましたね。
  まだステージ上なんですよ!

  この後、少しのインタビュー(話を聞かれて)を受けてステージを降りました。
  このインタビュー、慣れていないと言うか若気の至りと言うか。
  残されたその模様のカセットテープを聴くと赤面状態になってしまいます。
  司会の國本さんが、しっかりとフォローしてくださいました。(さすが!!!)

  出番を無事に終え後はお気楽モードです。
  ギターを片付け一呼吸おいて「終わった〜」急に元気になってきました。
  出番も早かったので後の出演者のステージを落ち着いて?リラックスして?客席から観る事が出来ました。
  皆さん、上手いです。改めて「俺たち場違い?」なんて思ってしまいました。
  それと同時に「こんな凄い人達と同じステージ・同じ時間の中に居れた事」嬉しかったです。

  レベルの違い、実感しましたね。
  皆さんアマチュアなんですが「音楽に対する心意気・気持ち」が違いますね!
  僕の音楽人生に於いても、本当に良い経験させてもらいました。良い勉強をさせてもらいました。感謝です。
  そして、結果発表!大方の予想通り僕たちが選ばれる事もなく「ポプコン東海大会」は終了しました。
  何か記念に貰ったような?貰わなかったような?記憶が定かではありませんです。
  でも僕達は、いっぱいの刺激を貰う事が出来ました。(大満足です!)

  僕達は参加できた満足感の中、朝来た道を朝とは違う気持ちで歩いて帰りました。

  実は、この東海大会の会場(客席)に後に出会う「バルンガ(白)」さんが居たと
  本人から聞かされた時にはビックリしました。
  リアルタイムの「そんぐろーど」を観た貴重な方ですよ!(白)さん。
  人の出会いて、本当に面白いですよね!(^^)


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第14話 「 ターニングポイント 」



  色々な刺激や衝撃を受けた「ポプコン東海大会」も終わり、
  僕も少しの平和?な日々が訪れました。 ←メチャ大げさ!
  と言っても、やっている事は変わらないです。
  (学校へ行き、家に帰りギターを弾く)この繰り返しでしたね!

  ポプコンで刺激を受け、この頃からオリジナル曲に目覚めて行きました。
  どんなに下手でも、どんなにつまらない曲でも、オリジナルはその人なんですよ!
  創った人の「想い」がいっぱい入っているんですよね。オリジナルは、本当に素晴らしいと思います。
  東海大会に出場出来た事で、「詩・曲を創る」と言う事に少しの自信が持てるようになったのも、
  この頃からでしたね。

  今までにも何曲か詩を書き曲を創ったのですが「遊び半分」「その場のノリ」みたいな感じで、
  真剣には創っていなかったように感じます。
  「今度は真剣に詩・曲を創ってみよう」と決め創り始めました。
  自分自身の音楽人生の中で、この東海大会が「オリジナル曲」と言う面では、
  一つの「ターニングポイント」ではなかったかなと思います。

  そして、1曲の唄が出来上がりました。
  「子供とも大人とも言えない歯がゆい気持ち」
  「失敗を省みず何でも出来そうな気がした高校時代」
  「今日ダメでも明日があるよと思っていた時代」
  そんな何とも言えない気持ちや想いを唄にしました。
  出来上がった曲が今でも僕の代名詞見たくなっている曲「明日を求めて -西へ西へ- 」です。
  (ちょっと背伸びしている曲です。)

  今の自分のライブでも必ずと言っても過言ではないくらい唄っていますね。
  当時の「そんぐろーど」のライブでも良く唄っていました。結構支持率高かったですよ!(自画自賛)
  そして、毎月毎月の「ヤンタン」のコンサートをこなしライブ自体にも落ち着きが出てきましたね。
  それと同時に「そんぐろーど」としての居場所も確保出来る様になって来ました。

  そんな中、YAMAHAさんから「秋のポプコン」の曲募集開始いたしました。と連絡を受けました。
  僕達が入っているサークルの立場上応募しないといけませんよね!
  ということで(前回とは違い少しの自信はありました)応募曲の創作に取り掛かりました。
  また今回も詩を僕が書き・曲をO君が付けると言うパターンで創りました。

  今回テーマにしたのは「男同士の友情」(ん〜!高校生にしてはチョト難しいかな(^^;) )
  今回は、詩を書き上げるまでに時間掛かりました。書いては消し、消しては書くこの繰り返しでした。
  新聞広告の裏は文字と消した横線がいっぱい〜です。
  この広告の裏を利用して詩を書くと言うスタイル、未だに僕の曲創りのパターンですね。
  (最近は、裏が白い広告少なくなってきましたね!とボヤク)

  そして、出来上がりました。
  「See you again my friend」久しぶりに故郷へ帰ってきて、友と語り合うと言うストーリーの詩です。
  (高校生にしては、メチャ「おやじ」入っています)
  その詩をO君に渡し、曲の出来上がりを待ちました。
  少し苦労した詩だったので、どんな曲が付いてくるかメチャ楽しみです。
  それから3日位してからかな〜O君から「出来たよ〜」と連絡あり。
  どんな曲かワクワクしながらO君の家へ・・。
  そして、そこで聴かされた曲・・「メチャ良い!」と鳥肌が立った事、思い出しました。
  今度はO君のボーカル、僕のハモリと言うパターンで行く事にしました。

  さぁ!ここから練習とアレンジです。「イントロどうする?間奏は?エンディングは?」
  と「あ〜でもない、こ〜でもない」と言いながら
  何とか形にする事が出来ました。
  次は、応募用の音源造りです。マイクも使わずラジカセ直録りではバランスが悪いと思い
  (ちょっと生意気ですよね!)
  「ヤンタン」を使わせてもらう事にしました。
  月例コンサートのリハーサルの時、ラジカセ置いて録音させて貰いました。
  PA通すのでギターとボーカルのバランスはラジカセで録音したとは思えないくらいです。
  その録音したカセットと応募用紙を持って4Fのホールから1Fへ(メチャ遅いエレベーターで)
  YAMAHA浜松店の店員さんに渡して応募完了〜!後は結果を待つだけです。

  今回は、前回(春のポプコン)とは違い結果が気になって気になって・・。
  連絡先を僕の家にしてあったので毎日家に帰ると母親に 「YAMAHAから何か連絡あった〜?」
  て聞くのが日課になっていました。
  でも、電話連絡ではなかったんですよね〜。テープ審査を通ると封書で来るんですよ!
  セミファイナルの要綱が書かれた紙と一緒に・・(^^;)
  通らなかった場合は何も来なかったんじゃなかったかな〜?て思います。←イマイチ記憶が定かではない!
  「今回は?どうかなぁ〜」と思っている?気にしている?僕の元に1通の封書が・・。

  開けると中に「テープ審査合格?通過?」(どちらか忘れました)
  と書かれた紙とセミファイナルの要綱が書かれた紙が同封されていました。
  「今回も通った〜!」「めちゃ嬉しい〜」笑顔笑顔の連発です。
  速攻でO君に電話して結果を伝えましたよ。(^^)
  そして会場は、春と同じ「YAMAHA四つ池センター内ホール」です。
  今度は、春に1度経験しているので落ち着いてセミファイナルを迎えれそうです。
  セミファイナル前日まで練習に力が入ったのは言うまでもありません。
  そして、セミファイナル当日の朝を迎えることになりました。


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第15話 「 セミファイナル 」



  セミファイナル当日、春の時と同じように浜松駅からバスに乗り「YAMAHA四つ池センター」 へ。
  人間て面白いんですよね!変にゲンを担ぐんですよ。
  乗っていったバスの時間が、春の時とほぼ同じ時間帯のバスです。
  春と同じように行動すれば、「また間違ってセミファイナル通過するかも・・」
  なんて都合の良い事考えてしまいました。(本当に面白いです)

  春にセミファイナル経験していたので、もう「勝手知ったる他人の家」てな感じで・・(^^;)
  すごく余裕がありました。受付を済ませ控え室へ(迷う事無く一直線)。
  自分達の場所をKeepしてリハーサルを待ちました。

  待っている間も、ちょっと暇で「何しようかな〜」(本当に、ライブやリハーサル始まるまでの時間って
  本当に暇暇モードですよね!大所帯のバンドなら話も弾みますが、
  僕たちはグループとしては最少人数の2人!本当に時間が長く感じられました。)

  そしてリハーサル!
  リハーサルにも慣れてきて(場数場数)、何をすればいいかを少しずつ分かりかけていました。
  PAさん「モニターどうですか?」
  僕、「もう少し上げてください」
  PAさん「こんなんでどうですか?」
  僕、「ギターの音をもう少し」と自分達を主張するようになってきました。(すごい進歩!!!)
  ギター2本のバランス・ギターと声とのバランス・二人の声のバランスそして全体のバランスをチェックして
  リハーサルを終了しました。(^^)vvv
  いつものようなOK!OK!OK!出しさんチームから少し卒業しました。

  リハーサルを終え、本番までの待ち時間(これが本当に長い!)何をしようか考えました。
  ここで少し「四つ池センター」での音楽以外でのつまらない?出来事?思い出?紹介します。

  春ポプコンの予選やレコーディングで何回も「YAMAHA四つ池センター」へ通いました。
  何回も通うと、段々と何処に何があるかレイアウトが分かって来てしまいます。
  そんな中、春から気になっている事・物があったんですよ!
  それは、ホール横に有った「缶ジュースの自動販売機」!
  何が気になったかと言うと・・「外付けの、おまけ抽選用の機械?」
  (今でも、自販機で缶ジュース買うと抽選してくれますよね!当ると「もう1本」おまけというやつ)

  どう言う機械かと言うと、野球もモチーフにした?12〜13個ぐらいのLEDが円状に配置されていて
  一つ一つ光が進んで行く、そして光が一番上(12時の時点)で止まると、
  「大当たり(ホームラン)もう1本」と言う物でした。

  まず、お金を入れ(100円)ジュースを選択用スイッチを押した瞬間に光がスタート
  (それまではゆっくり動いていた光が、スピードアップ!)このスイッチを押すタイミングが大切です。
  「光が20分の位置に来た瞬間」に押します。
  すると・・ベストタイミングで押されていると光の最終到達地点は、
  12時の位置で止まります。「大当たり〜もう1本!」これに気付いた時は「やった〜!」でしたね!
  暇を持て余していた僕達は、この自販にチャレンジしに向かいました。
  戦果は・・?100円投資で3本(たぶん)飲めました。こういう庶民に利益をもたらす機械は大歓迎です。(^^)
  (しかし直ぐに撤去されたみたいです)
  これも、当時の1つの思い出ですね!

  そして、時間は過ぎセミファイナルのスタートです。

  司会の「岩ドン」(当時、コッキータウンというポプコンのラジオ番組パーソナリティーをしていた方です。)
  のオープニング挨拶からのスタートです。
  何組かの演奏が終わり、いよいよ僕たちです。段々とテンション上がってきました。
  しかし、わりと冷静だった様な気がします。
  「岩ドン」さんがMCしている間にセットです。(これは、春のセミファイナル・東海大会と流れが同じです。)
  そして、「岩ドン」さんが僕たちの楽曲のタイトルコール

  「続きまして、そんぐろーどで「See you again my friend」です。お願いしまーす。」
  一瞬の間をおいてイントロのスタートです。「タン、タカ、タカタカ♪」のスリーフィンガーに合わせて
  O君のリードギターが入ってきます。モニターから聞こえる音、OK!いい感じです。
  そしてO君の歌声が聞こえ始めました。
  「街のはずれの古ぼけたカフェテラスで久しぶりにお前に会って楽しかったよ〜♪」
  これまた、いい感じです(^^)
  ハモリ入れて1番終〜了!1番の唄の途中から自然と会場から手拍子が起きました。
  曲のリズムに合わせて体揺らして(^^)も〜メチャ嬉しくなりました。
  歌詞を忘れてしまうくらい・・。←大げさですね!
  歌詞は忘れませんでしたよ!

  そして間奏、O君のリードソロが4小節、客席の手拍子と相まって目茶苦茶いい感じです。
  自然と会場との一体感を感じました。そしてサビのハモリも無事に終えエンディングの演奏にて終了〜♪
  落ち着いて気持ち良く演奏出来た事、とても嬉しかったです。
  (客席の皆さんの手拍子に後押しされたような気がします)

  ギターを持ちステージ下手へ、そこで「岩ドン」さんに今日の感想やら曲についてを2〜3質問され、
  照れながら答えた事覚えています。
  今でも鮮明に覚えているのは、「岩ドン」さんの楽曲の感想
  「いやぁ〜!このての唄は、泣かせるんですよね〜!友達に会いたくなってしまいました」
  この感想を聞いた時「やったぜ!」と心の中でガッツポーズしましたね。(^^)
  気持ち良く演奏できたステージを降り、後は結果発表を待つだけとなりました。
  そして、全ての出演者の演奏が終了し結果発表の時間が近づいてきました。
  出演者全員がステージに上がり予選通過者がコールされていきます。(これも春と同じパターンでした)

  「今回はどうかなぁ〜」と結果発表に耳を傾けました。
  今回は手応えを感じたので是非、予選通過したい!と欲が出てきました。
  「なんとか通過したいな〜!名前呼ばれないかな〜」
  そしてそして、この気持ちが天に通じたか?何組か発表された後、
  「岩ドン」さんからのコール「続いての予選通過グループは・・!」
  「そんぐろーどが唄いました「See you again my freiend」です。」 O君と顔を見合わせ小さくガッツポーズ。
  春の時は、何も分からず「言われるまま」って感じでしたが、今回は多少予選通過を意識していましたので、
  「春のビックリ!」とは違った嬉しさがありましたね。

  そして、「第17回東海大会行きの切符」を貰って「YAHAHA四つ池センター」を後にしました。


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第16話 「 ポプコン東海大会 」



  セミファイナルを勝ち抜き次は東海大会です。さあ!東海大会に向けて練習だ〜!。
  何か、部活動みたいですね。予選を勝ち抜いて次の大会、また勝ち抜いて次の大会・・・・。
  これって正に「高校野球」ですよね!
  地方予選を勝ち抜き甲子園へ「う〜ん俺達も青春してる〜」妙に納得。

  そして、ここで1つの企画?案?が浮上してきました。
  それは、「今度の東海大会バックバンドを付けてやってみる?」という事でした。
  「そんぐろーど」としては、初の試みチャレンジです。
  今思うと、色々な大会でバンドというものを観て感じて「バンド付けてやってみたい」という願望が
  湧いてきたんじゃないかなと、思います。さあ〜どうしよう・・・。
  協力してくれるバンド探しからです。ぐる〜と見渡してみたら、いましたいました。OKなバンドが(^^)
  そのバンドとは、僕達が所属?加入していたサークル「ヤンタン」の中心的なリーダー格のバンドです。

  「サンセットギャング」
  エレキギター・ベース・ドラム・ピアノ・コーラス(6名編成)のフルバンドで
  「シュガーベイブ」「山下達郎」を好んで演奏していたバンドです。これがまたメチャ上手いんですよ。
  バンドごとお願いするとメチャ「大所帯」になってしまうんで・・
  その中からエレキギター・ベース・ドラムに参加してもらう事にしました。
  というか「是非ご協力の程お願いいたします」と低調にお願いしてバックバンドOKを貰いました。
  ふっ〜!一安心。
  さあ!バックバンド付き「そんぐろーど」としての練習の開始です。
  まずは、アレンジからです。バンドアレンジをエレキギターのK本さんにお願いしました。
  (僕達では荷が重過ぎる・・・)
  現アレンジの良い所は残し、変更箇所は 「ズバッと!」アレンジしてもらいました。

  最初にK本アレンジャー?から言われた事は、
  「曲ちょっと短くない?」「もう少し長いほうが良いよ!」「じゃあ〜次の練習までに詩を足しといて」
  と簡単に言われてしまいました〜〜〜。
  (鬼!!!次の練習て明後日じゃん!明日一日しかないじゃん)
  と心の中では思いましたが顔には出さず笑顔笑顔で「頑張りまーす」(^^;)

  書きましたよ詩の追加。翌朝の5時までかかって、やっと完成〜〜!さあ寝ようZZZ〜〜〜。
  今までは、2番サビ終了だったのを3番サビ終了にしました。
  1番と2番の前後(辻褄)を合わせる事が大変でした・・(^^)V
  練習当日、アレンジャーのK本さんに見せた所 OK〜!簡単に貰いました。
  (どうかな〜と心配していた僕は、少し拍子抜けです)
  詩の追加も終わり、アレンジも出来上がりつつあります。後は、練習しながらの微調整です。

  そして、練習最後の日「激励会」と称して「飲み会」がもようされました・・。
  普段、お酒など飲んだことの無い僕が(まだ高校2年生ですよ〜)
  ウイスキー?ブランデー?をロックでコップ一杯飲んだものだから、
  も〜大変(どうなったかは、ご想像にお任せします。ヒントはベタな展開です。)
  そして、激励会も終わり後は当日を迎えるだけという事になりました。

  今回(秋の)「ポプコン東海大会」は静岡で行われたんですよ。
  「静岡文化会館中ホール」(キャパ1,000人)駿府公園の中にあるのでは・・・?
  僕達「そんぐろーど」ご一行様は、車で会場に向かいました。(便乗型乗せて行って貰いました)
  バックバンドを付けた利点が発揮されました!(^^)
  約2時間くらいのドライブの後(150号線直走り)会場の「静岡文化会館」に到着しました。
  到着して、今回もまたまた「楽屋入り口」の通路から入ります。
  (普段は入れないので少し優越感と満足感です)
  そして楽屋へ。また今回もステージ裏の大広間が楽屋です。

  到着して中を見ると「人、人、人」です。前回の浜松より人が居るのでは?と感じました。
  僕達は、楽屋の片隅(本当に隅っこ)に楽器を置きリハ準備開始!
  リハーサルは逆リハだったと思います。今回、僕達のエントリーNOは確か15か16だったと思います。
  18組の出場だったので、かなり後の方です。
  という事は、逆リハなんでリハーサルが早いという事になります。速攻準備!
  そしてリハーサルの始まりです。
  今回は、バンドでのエントリーなんで楽器チェックが主になったリハでした。
  個々のチェック、バンド全体でのバランスやモニターの返り等、短時間の間にチェックチェックです。
  PAさんからOKを貰いリハ終了です。

  さあ〜!ここからです。春の大会の時もそうだったんですが・・「暇との戦い」です。
  リハが早く出演が遅い「も〜〜〜〜時間有りすぎ!」てな感じです。
  どうしようかな?と思っていた所、バックバンドのメンバーが「座布団」を持ってきました。
  「何が始まるのかな〜?」と思っているとバックの中から・・・
  おもむろに 「季節毎の花が描かれた日本式トランプ」を取り出しました。
  世間一般では、これを「花札」と呼んでいます。

  そして、やり始めてしまいました「遠州花札!」皆さん想像して下さい。
  ここは、楽屋ですよ!他の人達は、緊張している人・ギターを鳴らしてる人、
  なんだかんだ音楽やコンテスト関連の事をしています。
  しかし!!!この人達は、何だ〜〜〜!目茶苦茶盛り上がって花札やってる〜〜。
  良いのかこれで!
  と思ったのも束の間 「僕も混ぜて〜〜」という事で、僕も参戦しました。(^^;)
  「本当に、この人達はコンテストに慣れているな〜」
  てマジで思いましたよ。←変な所に感心するな!とツッコミが入りそうですね!
  きっと、この人達はコンテストに参加するという事より
  「遠足?」「慰安旅行?」のノリだったんではなかったのかなぁ〜。
  今でも僕は、「東海大会」のステージより、この「花札大会」の座布団の上を
  強く記憶しているのは何でだろう〜?(笑)

  花札で盛り上がっていたところスタッフの声が・・
  「そんぐろーどさん後2組で出番ですよ!」「よろしくお願いします」
  てっきり怒られるかな?て思って構えましたがOKでした。
  さすが、バンドのメンバー慣れています。
  先程までの盛り上がりが嘘のようにミュージシャンに早替りです。
  素晴らしいの一言です。
  全員ライブモードになってきました。さあ!僕達の出番です。気合を入れていきます。
  司会の方(誰だったか記憶に無いです)に紹介されステージに上がりました。
  「会場は満席!スゴイ沢山の人だ〜!」やけに冷静だった事、覚えています。
  前回は、とにかく真っ白状態でしたから〜(^^;)

  そして、演奏スタート!聞こえてきましたモニターからO君のリードギター!いい感じです。
  そして会場に響き渡るギターの音、メチャ良い〜!
  僕も、O君も、バックバンドのメンバーも、力いっぱい唄い演奏しました。
  本当に、気持ち良かった!!!

  この後、少しのインタビュー?が有って心地良い余韻と共にステージを降りました。
  終わってしまえば後は、「お気楽モード」です。
  会場に行き、残りの出演者の演奏を観て審査結果が出るまでゲストライブです。
  今回は、生ライブではなく「世良正則&ツイスト」のフィルムコンサートでした。
  「あんたにあげ〜〜〜た♪」が画面いっぱいに広がっていました。
  そして、結果発表〜です。
  O君と「通ったらどうしよう!」「次は、つま恋だよな〜」などと盛り上がっていましたが・・・。
  結果は、ご想像の通り「東海大会」止まりでした。

  でも、「ポプコン東海大会」を、春秋2回経験できた事や
  沢山のオリジナル曲に出会い刺激された事は、僕の音楽人生の中で
  僕自身に多大なる影響を与えてくれました。
  そして、静岡を後に浜松へ向け車は150号線を西へ西へと向かいました。

  後日談ですが今から2年ほど前「つま恋」 で 「コッキィーポップライブ」が開催されました。
  出演者の中に「伊奈透」さん「相曽晴日」さんが居ました。僕も出演させていただきました。

  実は、この3人(僕を含め)この東海大会に出場していたんです。
  その時のパンフレットが展示されていて、中を見てビックリ!
  エントリーNO1が「伊奈透」さん
  エントリーNO15か16が僕達 「そんぐろーど」
  エントリーNO17が「相曽晴日」さんでした。
  同じ空間に居た3人が二十数年の時を経て、また同じステージに立つ
  「これって凄い事じゃないかな〜?」て思いました。
  つま恋ホールの入り口付近で3人、顔を見合わせて
  「これってスゴイよね〜!」と言って笑った事を思い出しました。


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第17話 「 刺 激 」



  とても良い経験をさせてもらった「東海大会」も終わり僕も高校3年生へ進みました。
  (進級出来てよかったね〜!)
  高3の時は、色々な人のコンサートをよく観に行きました。
  相変わらずコンサートに行っては、プロの技術を盗み←相変わらず大げさ
  家に帰って真似をする。(良く言えば、復習をする。←こっちが正解かな?)

  そんな時、僕に影響を及ぼす一人のミュージシャンとの出会いがありました。
  その出会いとは、「長渕剛」さんです。髪はロン毛、体は細身(とても今の風貌とは違います)
  そして、「巡恋歌」と言う曲を唄っていました。これは、後に知った事なんですがね(^^;)
  一番最初に「長淵剛」さんを眼にしたのは、本当に偶然でした。

  「南こうせつ」さんのコンサートが「浜松市民会館」で行われた時、
  (当時、南こうせつさんが好きで良く聞いていました。コンサートにも毎回出かけました。)
  前座で一人の男の人がギター1本ブルースハープを首から提げて出て来ました。
  「おっ!何だこいつ!ギター1本か〜」(ギターを弾く僕にとって興味を引く男でした)
  そしてギターを弾き始めました。また、このギターがメチャ上手い!
  曲が進むにつれて引き込まれてしまいました。
  一緒に行った友達に「長淵剛て何?どんな奴」と尋ねました。
  友達は「いまいち分からん」の一言。まだ、デビューしたてで無名だったんですよね〜!
  でも僕の頭と胸の中に「長渕剛」と言う名前しっかりと記憶されました。

  僕の中では、この時観に行ったメインの「南こうせつ」さんより前座の「長渕剛」さんの方が良かったです。
  それくらいインパクトありました。頭を思いっきりガツ〜ンと殴られた様な衝撃でした。
  その後、「長淵剛」という男(ミュージシャン)に興味を持ち始めました。
  そしてその年の秋?ソロコンサートで浜松にやってきました。ギター1本抱えて。
  僕は、しっかり観に行きましたよ!このコンサートも感動的でした。
  ますます興味を持ってしまいました。
  楽曲のコピーもバンバンやりましたね。

  そんな秋口、高校では 「文化祭」の季節です。
  僕の通っていた高校は、浜松でも一番遅く11月に入ってから文化祭が開催されました。
  (一番遅いの伝統だったりして・・。)
  高校生活最後の文化祭です。
  どんな形でも良いから「記憶に残る(僕自身の)コンサート(ライブ)をやりたいな〜」
  と思っていました。

  そんな時、一人の男と出会いました。中学の同級生を通じて知り合ったのですが、
  彼も僕と同じ様な事を考えていました。「コンサートをやりたい」と。
  そして、彼と文化祭コンサートを実現させようと思いました。
  最初は、ぎこちなかったのですが彼と話をしだしたら段々と打ち解けていきましたね〜!
  やはり 「ギターを弾く・歌が好き」という事で話は弾んでいきます。
  その彼というのが・・Mくんです。

  後に彼とは、一緒にサークルを立ち上げ、そして僕に沢山の詩を描いてくれます。
  まだ、この時には今後の展開を知る由も無かったですね!
  未だに彼とは付き合っています( 「腐れ縁」て感じですね!)

  そんな話の中で出て来た事ですが
  「俺、文化祭でアリスをやりたいんだけどバックでギター弾いてくれない?」
  「おっ!!!音楽人生初のオファーだ」嬉しくなりましたね。
  僕は、一つの交換条件を出して引き受けました。
  その交換条件とは・・?!!。到って簡単「俺にも一曲唄わせてくれ」
  チョー簡単な交換条件の為、二つ返事でOKでした。これで契約?完了です。

  文化祭まで残すところ後二ヶ月、文化祭コンサートに向けての練習スタートしました。
  メンバー構成は、「アリス」という事なので、ご想像通り「谷村・堀内」がいます。
  そして、バックがピアノ・ギターの計4名変則的な構成です。
  ここで 「アリス」というグループを簡単に説明しますね!
  「谷村新司」(ギター) 、「堀内孝雄」(ギター) 、「矢沢透」(ドラム・パーカッション)
  の3人のユニットでヒット曲も沢山ありましたね!
  「今はもうだれも」「冬の稲妻」「チャンピオン」etc・・。

  そして、もっとも有名なフレーズがありましたよね!
  モーリスギターのCM「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」でしたよね・・!(^^)
  ヒット曲よりも、ヒットする前の曲の中にも良い曲がありましたね。
  「走っておいで恋人よ」「アリスの飛行船」「夢去りし街角」etc・・。
  僕達は、そんな「アリス」のちょっと古めの曲とヒット曲をピックアップして演奏することにしました。

  さあ!練習です。週1回放課後「音楽準備室」を借りてというか無断で・・。
  許可は取って無かったような〜気がします。(^^;)
  その練習も、部活動のように「時間キチキチ」練習予定に沿ってやって行くのではなく、
  ものすご〜くラフ(^^;)
  「集まり悪し」「駄弁り多し」
  まっ!高校生の寄せ集めチームでは、しょうがないか!コミュニケーション大切です。
  勝手に解釈してますね
  でも、楽しかったですよ!(^^)
  そして、回を重ねるごとに段々とまとまてきました。後半の練習日は、文化祭が近づいたせいか
  「集まり良し」「駄弁り少ない」皆の気持ちも高まってきて来ました。
  そして練習のかい合って演奏曲全て、一応?形にはなりましたね。クオリティーは???ですが・・・。
  そしてそして、待ちに待った?文化祭の当日を迎えることになりました。


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第18話 「 文化祭 」



  ついに来てしまいました「文化祭」の日が!
  学校の中では、各ホームルームで企画した催し物(ホームルーム展)が開かれています。
  現在の文化祭では「火」を使う事許されているみたいですが、当時はNG!でした。
  縁日風の催しで「スマートボール」やら「輪投げ」などなど全て手作りでした。
  これはこれで味が有ってOK!OK!OK!でした。
  僕達の32HRは、何をやったかと言いますと・・「お化け屋敷」ちょ〜ベタ!!
  教室の中に、暗幕を引き、ダンボールで区切り、竹ザサを配置し、竹の先にコンニャクを吊るし
  「手作りお化け屋敷」完成〜!(この企画、ウケたかウケ無かったかは誰も知りません・・・。)
  僕自身も、入りませんでした。

  その頃、僕は「本日のメインイベント」の為に体育館で準備の真っ最中!
  開演時間(たぶん10時頃だった様な気がします)までには、なんとか間に合いました。
  さあ!リハーサルも無くコンサートのスタートです。

  「アリス」ナンバーのオンパレード!僕は、バックバンドの一員、無難に曲をこなして行きました・・。
  バックで弾きながら考えていた事は「早く唄いたい」でした。←ちょ〜不謹慎バックバンドに集中しろ!
  バックギターを引き受けた時の交換条件「1曲唄わせてくれ」覚えていらっしゃいましたか?
  いよいよ、僕の出番!(て、ずーとバックでギター弾いてるじゃん!とツッコミが入りそうです)
  唄えるという事で 「気持ちワクワク」でした。

  ステージの中央に椅子を置き腰掛イントロを弾き始めました。ステージが僕だけの物になる瞬間です(^^)
  何を唄ったか?オリジナル曲です。「明日を求めて -西へ西へ-」
  今でも、ライブで唄っています。現役バリバリです!めちゃくちゃ気持ち良かったですよ。
  今思うとこの時、肌で感じた感動が忘れられず未だに一人での
  「弾き語り」スタイルでライブをやっているのかな〜なんて思います。
  今の「弾き語り」スタイルの原点です。
  もし、この文化祭のステージで1曲唄っていなかったら今、弾き語りスタイルでライブをしている
  「浦山修司」は無かったかも知れませんね!

  結構、オリジナル曲の反応と言うか?評判良かったですよ!(記憶違いか?自画自賛(^^;))
  僕の「一曲入魂ライブ」も終わり、また「アリス」ナンバーの再スタートです。
  その後、何曲やったのかは覚えていませんが・・無事にコンサートを終了しました。
  ステージを降りた後、出演者で盛り上がった事覚えていますね!
  そして一瞬の余韻に浸った後、次の演目の為に「撤収〜〜〜!」速攻片付けです。
  マイクどけ〜のコード束ね〜のピアノどけ〜ので何も無い状態にして、お次の方へ・・。

  出演者は、個々の教室の催し物(ホームルーム展)に戻っていきました。
  が!僕は、教室には戻らず「音楽準備室」へ・・。
  そこで何をしていたかと言うとミニコンサートをしていました。
  「南こうせつ」さんの唄が好きな友達からのオファーで・・。
  1時間以上唄っていたのかな〜♪「南こうせつ」「かぐや姫」「風」etc・・・。
  (先程の体育館では1曲しか唄えなかったので、思う存分唄いました。)
  そしてその後HR展を見て廻り、僕の高校生活最後の文化祭が終わりを告げました。
  長いようで短かった2日間でした。

  その頃、僕達のユニット「そんぐろーど」は、何をしていたか!!!というと
  練習の回数は減りましたが、ちゃんと練習していましたよ。
  この頃の「そんぐろーど」での活動を一つ。

  当時、SBSラジオで静岡県内のアマチュアバンドを紹介する番組(30分番組)があったんです。
  O君口説き落として「出てみない?」「静岡県内に、そんぐろーど流れるよ!」と応募しました。
  見事、はがき審査に合格!(有ったのか無かったのかは定かでは有りません)
  SBSラジオの出演が決まりました。ラジオに出れるなんて初めての事だから
  「ラジオ局てどんな感じだろう?」なんて色々想像を膨らませていましたね。

  そして、当日「浜松」から、鈍行(東海道線)に乗って「静岡」へテンションは上がりっぱなしです。
  静岡に到着後、迎えの車で・・なんて言ったらカッコ良いんですがね!(^^;)
  迎えに来るはずも無く、自力(徒歩)でSBSまで。20分くらい歩いたかな!

  そして、受付のお姉さんに要件を告げ 「入室許可バッチ」をもらい中へ。
  エレベーターで何階まで行ったかは覚えていませんが、分厚い重いドアを開けてスタジオの中へ
  「も〜ドキドキでした」
  中には、パーソナリティーの「今村さん」が待っていてくれました。
  そして、今日の流れの説明を受けてスタンバイ開始!生放送ではなく録音です。
  僕達は、2曲唄わせてもらえます。風のコピー曲で「北国列車」
  そして僕達のオリジナル曲 「君の愛にサヨナラ」この2曲が、公共の電波に乗りました・・。

  いつもと勝手が違う緊張した中でも楽しく出来ました。と自分では思っていますが
  後日、ラジオ放送で聴いた時には・・笑ってしまいました〜〜〜。
  「緊張めちゃ伝わってくるじゃん」「声震えているじゃん」も〜赤面。
  でもラジオ局で録音出来た事、ラジオに出演出来た事、本当に良い経験をさせてもらいました。

  そして、出演のお礼に「ギャラが」といえば良いのですが・・
  記念のアルバム(写真を入れる)を貰って帰りました。(SBSのロゴ入りですよ〜〜〜。)
  そして、またまた鈍行に乗って浜松へ・・・。
  高校時代には、こんな音楽関連の思い出(経験体験)いっぱい作ること出来ましたね。

  文化祭も終わり、そろそろ僕も通常の高校3年生モードに戻らなくてはいけません。
  就職活動もしないといけません。
  この時期から卒業ぐらいまで、音楽活動小休止していたように感じます。
  「そんぐろーど」もお休みです。
  そうですよね〜!ちょっとマジに進路(就職先)を決めないといけませんよね・・。
  でも、ギターは触っていましたよ!依然 「ギター大好き症候群」 は健在です。(^^;)

  そして、自分の努力か?運の良さか?就職先も決まり、無事に高校を卒業する事が出来ました。

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第19話 「 新しい出会い 」



  高校を無事に?卒業し社会人へ・・。
  「そんぐろーど」も再開です。ヤンタンのコンサートも久しぶりに参加しました。
  久しぶりでしたが、心地良くライブ出来ましたね♪何か「帰ってきた〜」 て感じです。
  ライブをやっていると「気持ち良くて、楽しくて」 やはり、ライブ人間なのかなぁ〜(^^)
  この頃からかな〜!ライブの楽しさ少しずつ分かりかけてきたのは・・。

  高校を卒業し働き出すと、学生時代の様に練習をするという訳にはいかず。
  「そんぐろ〜ど」としての音楽活動も減ってきます。
  O君の都合、僕の都合、なかなか合わせるのが、きつくなっていきます。
  高校卒業して「そんぐろーど」としてのライブ、一年間で3〜4回くらいだったかな。
  だんだん僕の中で、都合を合わせる事が重くなってきました。
  正直、めんどくさくなって来てしまったのかな?。
  このまま行くと絶対良くないと思い「そんぐろーど」解散しようかな・・と考え始めました。
  そして、この後「そんぐろーど」は終息を向かえることになります。

  未だに「解散」はしていないのですが、「自然消滅」していきましたね。
  たぶん、バンド経験がある方は経験してきた事ではないかな、と思います。
  僕達も、高校の3年間「そんぐろーど」というクループで走り続け、少し疲れてしまったのかもしれません。
  しかし、「そんぐろ〜ど」で経験した事、体験した事は、
  僕の音楽人生の基礎をしっかりと作ってくれました。
  感謝です。

  そして、「そんぐろーど」の終息と時期を同じくして僕達が加入していた「ヤングフォークタウン」も
  自然消滅して行きました。ちょと寂しいです。

  さあ!どうしようかな?これからの音楽活動。サークルは自然消滅しちゃったしね(^^;)
  そんな時、また素敵な出会いがありました。
  それは、「イケヤ楽器店」の鈴木さんと言う方です。
  どうして知り合ったかと言うと、僕自身も就職して給料なる物を貰える様になりました。
  すると少し眠っていた事が、顔を出してきます。顔を出してきたものは・・・。(ドラムロール)
  「ギターが欲しい〜〜〜〜〜〜!」
  です。
  これから一人で弾き語りをやって行くにも、もう一本ギターが欲しい。
  というか音楽活動を続けていく上で、どうしても購入しなければいけない事態になってしまったんですよ!

  高校3年間と少し弾いていたギターが悲鳴を上げ始めてきてしまいました。
  以前、ギターを倒してしまいネックが一度折れてしまったんですよ。
  それを瞬間接着剤(アロンアルファー木工用)で貼り付けていたんですが・・
  だんだんと亀裂が入り始めてきました。このまま行くと、弦の張力でネックは折れてしまうと思います。
  となるとギターが弾けなくなってしまいます。これは、死活問題です←大げさだ〜〜〜!
  で、そうなる前にギターを買おう!と思い「イケヤ楽器」へ行きました。
  その時、対応してくれたのが「鈴木さん」でした。

  この「鈴木さん」との出会いが、後の「アコヤン」に繋がって行くとは、
  この時は気づいていませんでした。(当たり前か!)
  ここで、僕が購入したギターの事を書きますね!
  イケヤの鈴木さんが、色々と進めてくれたのですが・・。僕の気に入るギターが有りませんでした。
  どれも一長一短で、「ベースが出れば高音が抜けない」「高音が抜ければベースがイマイチ」
  バランスの取れたギターが無かったんです。

  僕の中にあったギターの音は、「相方のO君」が弾いていた 「K.yairi」の音でした。
  しかし当時 k.yairi は、値段が高く僕の中では欲しいけどチョットてな感じでした。
  (当時給料が10万弱、K.yairi は、最低6万円からです。)
  でも、欲しい気持ちは募るばかり「あの音が欲し〜〜〜〜い!」
  考えました。少しの時間。そして僕の口から出た言葉「これください」指差したのは、
  「K.yairi DY-28」(マーチンD-28のコピーモデルです)定価 90,000円ハードケース付き〜!!

  当時の給料を考えると「清水の舞台から飛び降りるくらいの決断」でした・・(^^)
  ここで値引き交渉・・・!
  しかし返事は「K.yairi は、値引き無理だよ!」でした。少しでも値段を下げたい僕としましては、
  「ハードケース付きじゃんね?家にあるからいらない。その分引いて!」なんて図々しい事でしょう。
  これには、「鈴木さん」も参ったのかOKもらえました。
  これにて、契約成立〜〜〜!(^^)
  ここに僕の音楽人生を、ず〜と見続けているギターとの出会いがありました。

  後は、ギターが手元に届くのを待つだけです。
  約1週間、念願のギターが僕の手元に・・。メチャ嬉し〜〜〜い!
  まず弦のチューニング。音叉を使って(くわえて歯に共鳴させて)合わせます。
  5・6・4・3・2・1チューニング完了!
  ワクワクしながら、弦を撫で下ろした記憶があります。
  「この音!この音!」も〜嬉しくて嬉しくて、捜し求めていたものに出会えた嬉しさ。
  言葉文字では表現出来ませ〜〜ん(^^)
  その日、夜遅くまで近所の迷惑省みず弾いていた事、言うまでもありません。

  そして、このギターと共に僕の「弾き語り」人生もスタートしていきました。


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第20話 「 この出会いに感謝します 」



  新しいギターを手に入れ「弾き語り」 人生(ちょと大げさ)をスタートさせた僕 「浦山修司」
  この後も、音楽活動が充実していきます。

  そして、自分で音楽サークルを立ち上げます。
  この時、数多くの色々な人達との出会いがありました。
  そんな話を、次の機会に紹介出来ればと思っています。

  今回紹介した「ギターとの出会い〜」 読んで頂いて「浦山修司」 の音楽人生
  音楽活動のルーツを感じていただければ、ありがたいです。

  ここまで、お付き合いくださり読んでくださった皆様に

  「ありがとうございました」

  「お疲れ様でした」

  「この出会いに感謝します」


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